December 19, 2011

This 2 years was...


Today, theme is a little bit heavy and serious. Someday, I will update English version. point is this 2 years was tough. But now, it's toward to be settled.


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なんか重ーくなったので暇な人だけ読んでください。重い。。。


ようやく一区切りついた、というのが11/28の感想だった。もっといえば11/5というべきだろう。これでここからを前を向いて歩いていける、と思うくらいにだった。この2年間は厳しかった。精神的にも、そしておそらく肉体的にもだ。この日はUSCPAの試験日だった。合格を待たずに、試験を受ける状態に自分を持っていけたというだけで十分な、そういう2年を過ごしてきた。というわけで、終わった後の電車の帰り道は終始にまにましていたので、まあ、周りは気持ち悪かったと思う。
そうまで言うにはそれなりに理由がある。2年前、アメリカから帰ってきた。この時の気持ちは時を同じくして母国へ帰らざるを得なかった人間にしかわからないと思う。その時に俺達が背負っていたのは、完全な敗北だった。目に見える形で突きつけられたアメリカからのNoだった。敗北という1点に集約するのであれば、太平洋戦争に負けた日本人の心情に似てなくはない。その後たどる心境の変化も。アメリカに渡った時、目標があった。帰ってこないこと、それがだめなら最低でも2年程度仕事をしてくることだった。でなければ行った意味など何もないと、そしてそれが俺にはできるはずだと、そう信じての渡米だった。大体仕事やめてMBA行くのだから、当然の話ではある。誰だってそうだろう?
そして2年後、仕事を見つけられずに帰国する。胸中は、もっと真剣にやれば、もっと選ばなければ、何かしらの仕事はあったのではないか? 結局自分がびくついて踏み込めなかっただけなのではないか?という自問ばかりだった。俺は自分の中のそういうどろどろとしたものを歳相応の理屈を並べ立てて逃げてきただけなのではないか?だとしたら原因をリーマンショックやら景気やらのせいにしている自分はただの卑怯者なのではないか? そんなことばかりを考えていた。そして、実際にその通りだった。不景気だってアメリカで仕事見つけた友人は何人もいる。そういうことだ。
帰国後の就職も厳しかった。英語が話せるが現場を離れている、そんな理由でほとんどの会社から相手にされなかった。正直な所、それはないんじゃないかと結構思った。俺はお前達が必要だということを学んできた。その結果がこの仕打ちかと。敗戦後帰ってきた兵隊のようだった。彼らは、日本のために戦ってきたのに帰国後うとまれ邪魔がられたのだから。なぜ生きて帰ってきたとまで思われればその心情はいかばかりか。
ただ、それでもアメリカを憎みきれずリベンジのつもりでUSCPAを始めるあたりは戦後日本人の心情にも似ていたのかもしれない。戦後日本は、自分の国に原爆を落として負かした国を手本とし、守ってもらい、あまつさえその国の文化に憧れを持って生きてきたのだから。そして今、映画、音楽、ファッションに至るまでアメリカを頂点としてこの国は生きている。自国を破壊した国を崇拝するレトリックに国民はいつ気づくのか?と思ってたらなんのことはない、自分もその輪の中にいた。それだけのことだ。
ともあれ、そんな心情からstartとした試験勉強は難航を極めた。特に、自分も輪の中にいると気づいてからは。当然といえば当然だった。そこまで気づいていてなおやるのはただのバカだから。自分が蔑視する思想に取り込まれた中で勉強することになんてなんの意味がある?というのが勉強するたびに浮かび上がる疑問だった。
では、なぜそれでも続けたのか? これは試験が終わるまで正直よくわからなかった。目標は達成すべきという意地のような気もするし、何かやっていないことには敗北感に押しつぶされてしまいそうだったからなのかもしれない。でも、ようやっと今思うに、俺はそれを越えた先にアメリカと対等に対峙するだけの自我を持てるという可能性を信じていたからなのだろう。その時は明確にはわからなかったけど、これをやれば敗北から立ち上がって、もう一度冷静にアメリカという国を見つめられるのではないかという思いがあったのかもしれない。そしてそれは自分が辟易するレトリックに陥ってでも手に入れる価値のあるものだと。というよりは今の自分を脱するための唯一の方法だと信じていたのだと思う。
だが、それを信じていてもなお、勉強は厳しいものだった。内容がというのではなく、その意義という点でだ。こんなに後ろ向きな理由はないわけだから。つまり、負けた自分を慰め、再起するためにという点で、別れた彼女を忘れるために新しい彼女を探すみたいなものだ。支離滅裂もいいとこだ。そんなこんなで、いろんな思いが渦巻き、勉強はうまくいかなかった。まあ、そうだろう、今書いていたっていろんな考えが交錯して文章がまとまっていないし、矛盾だらけなわけだから。矛盾を抱えて勉強が頭に入るほど俺の頭は器用にはできてない。落ち着きだしたのはここ半年って所だ。
だから、なんとか試験を受けられる所まで持っていけたことは大きかった。やり始めたことは最後までやる、という1つ俺の中で筋を通していることだから。いろいろな理由の中で、そこだけは変わらず通せたことはとても大きかった。そしてようやく今、彼国のことを少し冷静に見れるようになってきたと思う。恨めしいなんていう感情をある程度抜いて、前向きな視点で彼国を見ることができそうな気がする。
というわけで、今、ようやくアメリカから帰ってきて日本で生活を始めた心持ちになっている。この2年間は、戦後の復興を始める前の終戦直後のなんとかしようと模索しているところだったに似ている。自分が、誰で、何で、みたいな高校生並みの疑問すら浮かんでくるようなそんな日々だった。幸運にも、そんな中、友人には恵まれ随分と助けられた。それはアメリカで知り合った友人だったり、日本で新たに知り合った友人だったり。彼/彼女らとそんなよくわからない状況を抱えている自分がどうでもよい(たまには、まじめな、たぶん)話をできたことで随分と精神が安定したことを覚えている。内容がどうというよりは、俺が受け入れられたという点でありがたいの一言だった。これ読んでたら今度会ったとき酒でも奢ります。(いや、大概俺持ちか)

まだ残り2科目あるし、どうなるかはわからないが、ここを乗り越えたことの意義はとても大きい。だから、ほっと一息をついてAuditingでも勉強を始めようと思っている。次回の受験は来年のいつになることやら。

ひとまずは、ただいま帰りました、という報告まで。


So... start over from here, now.

2 comments:

  1. 試験おつかれさま。
    何だか、自分が書いた文章かの様に読んでしまいました。笑
    私もなかなか目的が見出せずに試験までたどり着いてないですが、あきらめは悪い方なので、そろそろちゃんと頑張ります。

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  2. 文章にするとこんな感じになっちゃいますね。くらーい。でも、class of 2009のinternationalはみーんな同じだったでしょうね。2年が経ちましたが、忘れちゃいけないことは忘れずに行きたいものです。

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