December 30, 2011

US CPA

Passed FAR and BEC!!!!

Score was on the edge. But, credit is credit.

One of the essay topic had something to do with optimal capital structure. This was what I really studied in Finance class.  I got a lucky! I realized how I loved finance. haha.If I took PhD, I would take financial engineering. This is the field I can show my ability in the US.

Here's what I felt from exam.
FAR:
I thought I did great, But score shows I was on the edge; then I remembered if testlet was not getting difficult, my score is not good.. questions were not what I expected. not much calculations.. many theoretical problems.

BEC:
really on the edge!! As I said, I got a lucky!
I didn't know that corporation part is not the scope of the exam anymore. ohhh, mannn. I studied this area a lot... what heck!!  Other than that, many questions from control accounting as someone said in the blog.

I took the exam in Japan. test center was clean and quiet. test center was same place as TOEFL test. I felt nostalgia. 4 Years before, I was there to take TOEFL.


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ふと英訳した2年間なんちゃらの文なのだが・・・

英語と日本語でこうもトーンが変わるのかと・・・・

まあ、英語話すときと日本語話すときで随分と話し方が変わるからそれを考えればまあ普通なんだが。これが言葉に思考が絡めとられるということなのか。
言葉が人間の性格を決めるのか、その逆なのか。どっちがいいかというと、positveになるので英語の方がいい。下手にいろいろ言葉を知っていると暗くなっていかん。


あと何の脈絡もないけど、今年ジーンときた言葉。かっこいい。

「誰にだって、辛い過去のひとつや二つはある。中には後悔なんて生やさしいもんじゃ済まない、一生苦しまなきゃなんない過去を抱えてる奴だっているだろう。忘れちまえばいいとか、時が癒してくれるとか、そんなおためごかしはなんの役にも立ちゃしない。救われようってのがどだい虫のよすぎる話だ。だから背負っていくしかない。それがどんなものでも背負って生きるのが人生だとおれは思う。もし赦される時があるとしたら、潰されないで歩ききった時だけだ。それは過去の中身がどうこうって話じゃない。そいつの足腰が強いか弱いかっていう、いまこの瞬間の話なんだ。」(福井晴敏, オペレーションローズダスト(上), P280)




December 26, 2011

This 2 years was... English version!


Now, I can draw the line bw US and Japan. My 2 years war was over at 11//5; then, it was really settled at 11/28. At 11/5, after US CPA exam, I took a deeeeep deeeep breath; then, I realized this was the point I should start over. Let’s move forward. Funny thing was I didn’t have to wait till the results came out. The important thing was I could take exam with all my best condition as far as I could. As I said, 2 YEARS, man. What a tough days!!  Anyways, I went through it. Yeeeees!! Since I was in such a great mood after the exam, I smiled all the way to home. If you see me at that time, you thought I was strange or even wired. You had my word. I didn’t care though.
You might think what happened to me in those 2 years. It’s a sad story. But at the same time, it’s a usual bored story. Hope you don’t give up to read this blog for its bored.
I came back from the US 2 years ago. I could hardly explain what I felt on the plane heading to Narita. Nobody could understand my feeling except intentional students who had to go back to their country after graduation in 2009. You know important thing is always not be expressed by any words. If it does, it’s not that important after all. Still I could pick up keyword. ”Loser” simple, isn’t it? We failed to get jobs in the US. We were beaten by the US. The US told us “No needed”. This answer was not expected for me . I felt like I failed world war ll. 
When I went to the US, I had an objective, which is to work in the US at least 2 years. I believed I could do it. Since I quit my job, it is no surprise to have such goal. Who doesn’t? I quit job, men!! I’m serious.
2 years later, I went back from the US without finding job. What I felt was I AM FREAKING LOSER!! I’M CHICKEN!  Ohhh, I could not keep promise of myself. come on……  Even worse, I made terrible excuse to me like there’s a Lehman shock, there’s a recession… what an idiot I am!!! Many of my friends got jobs. Those could not be excuse. I was just a coward.
After coming back, Japanese companies were so cold to me. All companies I took interview said same thing; you could speak English, but we wanted to have a person who could be useful right after hiring. For my 2 years off, companies assumed I’m no capable of job. What a terrible joke! I was almost about to say “YOU GOT BE KIDING ME!!!”. I got what you always wanted! You always say you want to have person with good English skill. Are you out of mind???? Of course I didn’t say that. Haha….
Within such a mess, I started to study CPA. Why US CPA?? It’s the certification of the country where I got a stamp of “LOSER”. Honestly, I didn’t know why I started at that time. But now, it might be true that I wanted to talk to the US on equal footing without servile behavior.
This is why it is big step for me to take exam. I struggled in those 2 years to recover from loser. Eventually, I felt like I come back to Japan, now. Too late?? I know… still At least, I came back. This is important to me. Really, really important to me. So, I would say Hi, I’M HOME! 

December 19, 2011

This 2 years was...


Today, theme is a little bit heavy and serious. Someday, I will update English version. point is this 2 years was tough. But now, it's toward to be settled.


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なんか重ーくなったので暇な人だけ読んでください。重い。。。


ようやく一区切りついた、というのが11/28の感想だった。もっといえば11/5というべきだろう。これでここからを前を向いて歩いていける、と思うくらいにだった。この2年間は厳しかった。精神的にも、そしておそらく肉体的にもだ。この日はUSCPAの試験日だった。合格を待たずに、試験を受ける状態に自分を持っていけたというだけで十分な、そういう2年を過ごしてきた。というわけで、終わった後の電車の帰り道は終始にまにましていたので、まあ、周りは気持ち悪かったと思う。
そうまで言うにはそれなりに理由がある。2年前、アメリカから帰ってきた。この時の気持ちは時を同じくして母国へ帰らざるを得なかった人間にしかわからないと思う。その時に俺達が背負っていたのは、完全な敗北だった。目に見える形で突きつけられたアメリカからのNoだった。敗北という1点に集約するのであれば、太平洋戦争に負けた日本人の心情に似てなくはない。その後たどる心境の変化も。アメリカに渡った時、目標があった。帰ってこないこと、それがだめなら最低でも2年程度仕事をしてくることだった。でなければ行った意味など何もないと、そしてそれが俺にはできるはずだと、そう信じての渡米だった。大体仕事やめてMBA行くのだから、当然の話ではある。誰だってそうだろう?
そして2年後、仕事を見つけられずに帰国する。胸中は、もっと真剣にやれば、もっと選ばなければ、何かしらの仕事はあったのではないか? 結局自分がびくついて踏み込めなかっただけなのではないか?という自問ばかりだった。俺は自分の中のそういうどろどろとしたものを歳相応の理屈を並べ立てて逃げてきただけなのではないか?だとしたら原因をリーマンショックやら景気やらのせいにしている自分はただの卑怯者なのではないか? そんなことばかりを考えていた。そして、実際にその通りだった。不景気だってアメリカで仕事見つけた友人は何人もいる。そういうことだ。
帰国後の就職も厳しかった。英語が話せるが現場を離れている、そんな理由でほとんどの会社から相手にされなかった。正直な所、それはないんじゃないかと結構思った。俺はお前達が必要だということを学んできた。その結果がこの仕打ちかと。敗戦後帰ってきた兵隊のようだった。彼らは、日本のために戦ってきたのに帰国後うとまれ邪魔がられたのだから。なぜ生きて帰ってきたとまで思われればその心情はいかばかりか。
ただ、それでもアメリカを憎みきれずリベンジのつもりでUSCPAを始めるあたりは戦後日本人の心情にも似ていたのかもしれない。戦後日本は、自分の国に原爆を落として負かした国を手本とし、守ってもらい、あまつさえその国の文化に憧れを持って生きてきたのだから。そして今、映画、音楽、ファッションに至るまでアメリカを頂点としてこの国は生きている。自国を破壊した国を崇拝するレトリックに国民はいつ気づくのか?と思ってたらなんのことはない、自分もその輪の中にいた。それだけのことだ。
ともあれ、そんな心情からstartとした試験勉強は難航を極めた。特に、自分も輪の中にいると気づいてからは。当然といえば当然だった。そこまで気づいていてなおやるのはただのバカだから。自分が蔑視する思想に取り込まれた中で勉強することになんてなんの意味がある?というのが勉強するたびに浮かび上がる疑問だった。
では、なぜそれでも続けたのか? これは試験が終わるまで正直よくわからなかった。目標は達成すべきという意地のような気もするし、何かやっていないことには敗北感に押しつぶされてしまいそうだったからなのかもしれない。でも、ようやっと今思うに、俺はそれを越えた先にアメリカと対等に対峙するだけの自我を持てるという可能性を信じていたからなのだろう。その時は明確にはわからなかったけど、これをやれば敗北から立ち上がって、もう一度冷静にアメリカという国を見つめられるのではないかという思いがあったのかもしれない。そしてそれは自分が辟易するレトリックに陥ってでも手に入れる価値のあるものだと。というよりは今の自分を脱するための唯一の方法だと信じていたのだと思う。
だが、それを信じていてもなお、勉強は厳しいものだった。内容がというのではなく、その意義という点でだ。こんなに後ろ向きな理由はないわけだから。つまり、負けた自分を慰め、再起するためにという点で、別れた彼女を忘れるために新しい彼女を探すみたいなものだ。支離滅裂もいいとこだ。そんなこんなで、いろんな思いが渦巻き、勉強はうまくいかなかった。まあ、そうだろう、今書いていたっていろんな考えが交錯して文章がまとまっていないし、矛盾だらけなわけだから。矛盾を抱えて勉強が頭に入るほど俺の頭は器用にはできてない。落ち着きだしたのはここ半年って所だ。
だから、なんとか試験を受けられる所まで持っていけたことは大きかった。やり始めたことは最後までやる、という1つ俺の中で筋を通していることだから。いろいろな理由の中で、そこだけは変わらず通せたことはとても大きかった。そしてようやく今、彼国のことを少し冷静に見れるようになってきたと思う。恨めしいなんていう感情をある程度抜いて、前向きな視点で彼国を見ることができそうな気がする。
というわけで、今、ようやくアメリカから帰ってきて日本で生活を始めた心持ちになっている。この2年間は、戦後の復興を始める前の終戦直後のなんとかしようと模索しているところだったに似ている。自分が、誰で、何で、みたいな高校生並みの疑問すら浮かんでくるようなそんな日々だった。幸運にも、そんな中、友人には恵まれ随分と助けられた。それはアメリカで知り合った友人だったり、日本で新たに知り合った友人だったり。彼/彼女らとそんなよくわからない状況を抱えている自分がどうでもよい(たまには、まじめな、たぶん)話をできたことで随分と精神が安定したことを覚えている。内容がどうというよりは、俺が受け入れられたという点でありがたいの一言だった。これ読んでたら今度会ったとき酒でも奢ります。(いや、大概俺持ちか)

まだ残り2科目あるし、どうなるかはわからないが、ここを乗り越えたことの意義はとても大きい。だから、ほっと一息をついてAuditingでも勉強を始めようと思っている。次回の受験は来年のいつになることやら。

ひとまずは、ただいま帰りました、という報告まで。


So... start over from here, now.