壬生義士伝で鉄砲に打たれた近藤勇を池田七三郎が気遣う場面がある。 たいそう痛いはずの近藤に対してそれを見せないことを池田が気遣う所である。
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「池田---」
「はい」
「おまえはなかなか見所のあるやつだな」
「は・・・・」
「他人の痛みをわかろうとしている。それは武士として大切な事だ。 そういう侍がいなくなったから、世の中はこんなことになった。 おまえもきっと傷ついたときには、痛いとも苦しいとも言わぬだろうな。」
近藤勇の武士道とはそういうものでした。理屈じゃなかった。 他人の痛みをわかってやりながら、自分の痛みは決して他人には悟らせようとしない。あの人は何の理屈もなく、そういう武士道を生きた人だったんです。(qtd in 浅田次郎 377)
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これがよいとか悪いとかではなく、寄って立つべきものを守り通す ことがこれほどまでに頑なにできるのだろうか、と思う。
自分のやり方を保つというのは自分への疑心暗鬼と常に向かい合うことだ。これは存外に難しい。
チョコを食べないと決める位難しい。
インスタントラーメンを卒業する位難しい。
よほどその場その場でやり方を変えた方がスマートだしきれいだと思う。 それがいろんなことの利益にだって繋がるし、周りにだっていいものを 与えていくと思う。
それでも頑なに変えないのは、そうしてしまったら 自分が今までに出会って踏み躙ってきた たくさんの事を裏切ることになると信じているからだし そこから生まれてきた自分の影にさえ背中を向ける事になると思うからだ。
つまり、俺は俺のやり方で今までやって来たんだしそれを変えることなんかできない。 そうするくらいなら死んだ方がましってことだ。
PS: 最近やった失敗は、腐ったおでんを食べた事。
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